2018年08月04日

「祈り 三部作」 『祈り』『希望の樹』『懺悔』  

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コーカサス山脈の南に位置する国ジョージア(グルジア)に映画が誕生して今年で110年。
その間、1918年にロシア帝国から独立、その後、ソ連邦に70年間組み込まれたが、1991年に独立を回復する。ソ連時代も含め、ジョージア映画は、自らの民族文化を取り入れた映画を作り続けてきた。シェンゲラヤ監督(『放浪の画家ピロスマニ』)、イオセリアーニ監督(『落葉』)などと並ぶ巨匠テンギズ・アブラゼ監督が、自ら三部作と名付けた『祈り』『希望の樹』『懺悔』が、岩波ホール創立50周年特別企画として、一挙上映される。
中でも、『祈り』は、日本初上映である。

配給:ザジ・フィルムズ  後援:在日ジョージア大使館
公式サイト:http://www.zaziefilms.com/inori3busaku/
★2018年8月4日(土)より岩波ホールにて、3作一挙公開

なお、10月には、ジョージア(グルジア)映画祭も開催される。
期間:2018年10月13日(土)〜26日(金)
新旧の未公開作品 約20作品上映

◆『祈り』  原題:Vedreba
1967年/ジョージア/ジョージア語/白黒/78分/シネマスコープ/DCP
字幕 児島康宏  *日本初公開
原作:冨山房インターナショナル6月刊

ジョージアの美しくも険しい自然の中で暮らす民族の異なる人々。
キリスト教徒の伝統的な結婚式。
敵から守るためなのか、高い塔の家。
宗教の違いを越えて迷える人を歓待する一方、宗教や民族の違いがもたらす死・・・
山肌を行く葬列。
「ラーイラーハイッララー ムハンマド ラスールッラー」(アッラーのほかに神はなし、ムハンマドはその使徒なり)というイスラーム教徒たちのずっしりと響く重唱。
モノクロームで描かれた壮大な映像詩。
語られているのは、19世紀ジョージアの国民的作家ヴァジャ・プシャヴェラの叙事詩。

ジョージア北東部、コーカサス山脈の山深くにあるヘヴスレティ地区のシャティリという中世の石造りの村を中心に撮影されている。ソ連時代に、この地の生活様式や文化を破壊しようとしたが、誇り高い人々によって儀式や歌などが守り継がれているという。



◆『希望の樹』  原題:Natvris Khe
1976年/ジョージア/ジョージア語/カラー/107分/スタンダード/DCP
字幕 児島康宏

冒頭、一面の赤いケシの花の中にたたずむ白馬の目に涙。やがて老人が白馬を安楽死させる。悲しむ少年・・・
20世紀初頭、ロシア革命前のジョージア東部カヘティ地方の美しい農村。
美しい聖女のようなマリタと牧童ゲディアは愛し合うようになるが、マリタは貧しい家族のため、村の長老のいうがままに金持ちのシェテと結婚しなければならなくなる・・・
古い因習や貧困のために、純真な愛が潰されてゆく様が描かれる。
20世紀を代表する作家ギオルギ・レオニゼが1962年に発表した21篇からなる短編集をもとに描かれた作品。


◆『懺悔』  原題:Monanieba
1984年/ジョージア/ジョージア語/カラー/153分/スタンダード/DCP
字幕 松澤一直/監修 児島康宏
出演:アフタンディル・マハラゼ、ゼイナブ・ボツヴァゼ、ケテヴァン・アブラゼ、エディシェル・ギオルゴビアニ

器用にピンクのクリームで薔薇の花を作って教会型のケーキに乗せるケテヴァン。彼女の隣で新聞を広げていた男が、「偉大な人が亡くなった」と叫ぶ。一面に市長として君臨していたヴァルラム・アラヴィゼの大きな顔写真。盛大な葬儀の翌朝、ヴァルラムの息子アベルは、窓の外に墓から掘り起こされた父の遺体を目の当たりにする。埋葬してもまた庭に掲げられる遺体。犯人はケテヴァンだった。「私が生きている限り墓地では眠らせません」と、法廷で堂々と語るケテヴァン。画家だった彼女の父親は、ヴァルラムの市長就任演説を聴かなかったとして粛清され、死に追いやられたのだ。無実の犠牲者が数多くいたことを知ったヴァルラムの孫息子トルニケは、祖父の犯した罪におののき父アベルを責めるが、「そういう時代だった」と取り合わない・・・

 本作が完成したのは、ソビエト連邦がペレストロイカ(改革)の時代を迎える前の1984年。厳しい検閲のあった時代に、独裁者を糾弾するかのような映画が作られたことに驚かされる。宗教が否定されていた時代に、教会をかたどったケーキが華やかに並ぶ映像にも監督の勇気を感じる。1987年、カンヌ国際映画祭で審査員特別大賞等を受賞し、その後ソ連全土で公開され記録的な大成功を収め、「パカヤーニエ(ロシア語で懺悔)現象」と呼ばれたという。1991年のソ連邦崩壊にもつながるペレストロイカ、グラスノスチ(情報公開)の象徴となった映画である。

 市長の名前「アラヴィゼ」は、グルジア語で「誰でもない」という意味でアブラゼ監督の造語。町を彷徨うケテヴァンの両親を追いかける市長のそばには鎧姿の兵士もいる。いつの時代にも独裁者に抑圧される人々が存在する不合理を語っている。だからと言って、独裁者を抹殺しただけでは、平穏な社会になるわけでないことも歴史は教えてくれている。何も言えず流されていく人たちが多い中、孫息子トルニケが純粋に疑問を投げかける。人と人とが共生していくには、赦しあうことも必要だと『懺悔』は感じさせてくれた。(咲)
(2008年12月20日より岩波ホールほか全国にて順次公開された)





posted by sakiko at 08:46| Comment(0) | ジョージア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする