2016年09月11日
チリの闘い 原題:LA BATALLA DE CHILELa Lucha de un Pueblo sin Armas 英題:THE BATTLE OF CHILE −THE STRUGGLE OF AN UNARMED PEOPLE
監督:パトリシオ・グスマン(『光のノスタルジア』『真珠のボタン』)
東西冷戦期の1970年、チリで選挙によって世界初の社会主義政権が誕生し、サルバドール・アジェンデが大統領に就任した。「反帝国主義」「平和革命」を掲げ、民衆の支持を得ていたが、国内の保守層、多国籍企業、そして米国政府は、その改革路線に反撃を加え、チリの社会・経済は混乱に陥る。
1973年9月11日、米国CIAの支援を受けた軍事クーデターで、アウグスト・ピノチェト将軍を中心とした軍事独裁政権が発足する。アジェンデ大統領は、自殺したとされる。(諸説あり)
『チリの闘い』は、この顛末をパトリシオ・グスマン監督率いる5人による映画製作チーム「三年目」が記録した3部構成のドキュメンタリー。
第1部「ブルジョワジーの叛乱」(1975年/96分)
第2部「クーデター」(1976年/88分)
第3部「民衆の力」(1978年/79分)
合計 4時間23分
第一部:ブルジョワジーの叛乱
1973年3月の議会選挙で左派(人民連合)が予期せぬ勝利をおさめる。右派は、議会制民主主義がアジェンデの社会主義政策を阻止できないことを思い知り、その戦略を国民投票から街頭闘争へと転換する。政府を弱体化させるため、右派はデモやストライキを扇動。ついには軍部がクーデター未遂事件を引き起こすまでの数か月間を追う。
第二部:クーデター
第一部の終盤に登場した1973年6月29日のクーデター未遂事件で幕を開ける。いずれクーデターの「本番」が起こることを誰もが認識しはじめ、左派は戦略をめぐって分裂する。1973年9月11日の朝、クーデターが実行され、大統領府は軍による爆撃で破壊される。アジェンデはラジオを通じてチリ国民に向け演説をした後、自殺と思われる死を遂げる。同日夜、アウグスト・ピノチェトを議長とする軍事評議会のメンバーがテレビ出演し、軍事政権の発足を宣する。
第三部:民衆の力
平凡な労働者や農民が協力し合い、"民衆の力"と総称される無数の地域別グループを組織してゆく姿を追う。食糧を配給し、工場や農地を占拠・運営・警備し、暴利をむさぼる闇市場に対抗し、近隣の社会奉仕団体と連携する。
当初、反アジェンデ派の工場経営者や職業団体によるストライキへの対抗手段として始められたが、やがて"民衆の力"は、右派に対し決然たる態度で臨むことを政府に要求するようになる。
民衆に指示されて誕生した社会主義政権が、結果的に終焉を迎える過程を記録することになった本作。クーデターの後、グスマン監督は逮捕・監禁されたが、処刑は免れ、フランスに亡命。撮影されたフィルムも奇跡的に国外に持ち出され、映画監督クリス・マルケルやキューバ映画芸術産業庁(ICAIC)の支援を得て完成する。
映画製作チーム「三年目」の5人のうち、撮影者ホルヘ・ミューラー・シルバのみ、1974年11月に秘密警察DINAに捕らわれ、尋問および拷問されたのち"行方不明"となった。『チリの闘い』は「ホルヘ・ミューラーの思い出に」捧げられている。
グスマン監督が、ピノチェト軍事政権下で虐殺され、沙漠や海の底に葬られた人々のことを描いた『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』で、誌的で美しい映像の背景に、チリの民衆の悲劇があることを知りました。
本作『チリの闘い』は、そのピノチェト独裁政権が生まれた過程を記録したもの。あからさまなプロパガンダではなく、エッセイのような映画をめざしたとのこと。労働者や農民など、社会的に底辺にいる人々が果敢に立ち向かう姿に迫っていて、この人たちはその後どうなったのだろうと胸が痛みました。
また、本作を観て、1951年に石油国有化を行ったイランのモサデグ首相が、アメリカなどの後押しによる軍部クーデターで1953年に倒されたことを思い出しました。
ちょうどイランの当時のことを扱ったニュースで、チリのアジェンダ政権に触れたのを見て、民主主義を掲げながら、民の心よりも利益を優先する大国のスタンスは変わらないとつくづく思いました。(咲)
配給:アイ・ヴィー・シー
支援:キューバ映画芸術産業庁 / マッカーサー基金
チリ・フランス・キューバ/デジタル/モノクロ
公式サイト:http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/
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