2016年07月23日
ラサへの歩き方〜祈りの2400km 原題 岡仁波斉
監督・脚本:張楊(チャン・ヤン)
撮影:郭達明(グオ・ダーミン)
出演:チベット巡礼の旅をする11人の村人たち
チベット自治区の東の端にあるプラ村から西に1200km先にある聖地ラサを経由して、さらに1200km西のカイラス山まで、2400kmを五体投地で巡礼に出る村人たち。ラサに巡礼したいと思っていたのに行けないまま亡くなった兄。弟のヤンベルは思い残すことなく自分は死ぬ前にラサに行きたいと思う。叔父の思いをかなえようと兄の長男ニマは考えた。それならば私もラサに行きたいと願い出た村人たち。老人、妊婦、そして幼い少女を含め総勢11人で巡礼に。五体投地とは、両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して祈る、仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法で、チベットでは五体投地で礼拝しながら、長い時間をかけて聖地巡礼する人々が今もいる。
プラ村の人たちも、テントやストーブ、寝具や食料を積んだトラクターと共に1年かけて巡礼を続ける。途中、妊婦の出産や、落石で怪我人が出たり、車に追突されてトラクターが壊れてしまうなどの出来事もあったが、そのたびに助け合いながら聖地を目指す。途中で出会う人々との交流、さりげない会話や行動の中から「他者のために祈る」というチベット仏教の考え方を知った。過酷な巡礼の道中、祈り、歩く、テントを張って眠るというシンプルな映像の繰り返しの中から、チベットの人たちの生き方が伝わってくる。実際の村人が自分自身の役を演じ、五体投地で巡礼するドキュドラマ。
『こころの湯』『胡同のひまわり』『帰郷』『グォさんの仮装大賞』の張楊監督が20年来のチベットへのあこがれを映画化した。
漢族である張楊監督が描いたチベット族の人たちのラサ巡礼。中国政府はチベット族の宗教や習慣、文化へ制約をしているが、一般の国民の中には、張楊監督のようにチベットの文化に興味を持つ人も多い。また、チベットの景色を撮って写真集を出している漢族の写真家もいる。56の民族があるという中国の多様性。
私もいつかラサに行ってみたい(暁)。
まさにドキュメンタリーのようなのに、本作は張楊監督が細部まで書き込んだフィクション。監督が思い描いていた登場人物を、老人から若者、さらに妊婦まで、奇跡的に一つの村の3家族で構成することができたそうです。だから、なおさらドキュメンタリーのように見えるのでしょう。
トラクターが事故で壊れて修理するために車で先のほうに移動した時には、また事故地点まで戻って五体投地を続けます。ズルをすることは、自分の中で許されないこと。
ラサにたどり着いたものの、事故があったりしてカイラスに行くお金がなくなってしまいます。それを知った宿の女主人が自分のかわりに10万回の五体投地をしてくれれば宿代はいらないと言ってくれます。
1991年にラサを訪れたことがあります。大勢の人が祈るチョカン寺で、見よう見真似で五体投地をしてみましたが、地面に身体を投げつけるという祈りの方法は生易しいものではないことを実感しました。それを他人の代わりに10万回!
そういえば映画を観ていて気になったのが、夜、チョカン寺の正面の祈りを捧げる場が閉ざされていたことです。私が行った時には、広場に面してお寺はオープンで、門などなかったと記憶しています。
ポタラ宮の前も綺麗に整備され、立派なホテルも増え、私が見たラサとはまるで違った姿になっています。鉄道が通じて楽にラサに行けるようになったところで、信心深いチベットの人たちには、それはありがたいことではないでしょう。
大谷寿一監督の『天空の大巡礼を行く』(チベットの東の聖山アムニ・マチェンの12年に一度行われる大巡礼を追ったドキュメンタリー)で、巡礼路の3分の1位に沿うように高速道路を建設中で、チベットの人たちが五体投地で巡礼しているそばで工事が進んでいる様子が映し出されていました。
観光誘致はできるかもしれないけれど、チベットの人たちの心を踏みにじるような開発に胸が痛みます。(咲)
*2016年7月23日〜 シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給 ムヴィオラ
115分/中国/2015/COLOR/チベット語/DCP/16:9/ DOLBY 5.1
英語題 PATHS OF THE SOUL
公式サイト www.moviola.jp/lhasa
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