2016年05月01日
飯舘村の母ちゃんたち 土とともに
監督・撮影:古居みずえ
出演:菅野榮子 菅野芳子
福島県飯舘村佐須地区で長年暮らしてきた菅野榮子さん(昭和11年生まれ)と、菅野芳子さん(昭和12年生まれ)。二人は亡き夫どうしが親戚の関係だ。
畑で自給自足し、山の恵みを工夫し、楽しみながら自然と共に歩んできた人生だった。
2011年3月、福島第一原発の事故で、榮子さんたちの暮らしは一変する。飯舘村は全村避難となったのだ。榮子さんは家族と離れ、伊達東仮設住宅で一人暮らしを始める。芳子さんは、寝たきりの母親と治療中の父親と3人で息子のいる埼玉に避難する。避難先で両親を亡くした芳子さんは、8ヵ月後、伊達東仮設住宅の榮子さんの隣の部屋に越してくる。支えあいながら畑仕事に勤しむ二人。故郷の伝統的な食文化を絶やしたくないと、「さすのみそ」「凍み餅」「凍み豆腐」の作り方を各地に出向いて教えたりもするようになる。
飯館村では、帰村に向けて除染作業が行われているが、原発事故から5年、未だに10万人が避難生活を続けている・・・
思ったことをぱっと口にして笑いの絶えない榮子さんに、控えめでちょっと心配性の芳子さん。支えあいながら避難生活を送る二人を追ったのは、これまで30年以上にわたってパレスチナの取材を続け、『ガーダ パレスチナの詩』『ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-』などの映画を作った古居みずえ監督。暮らしていた土地を追われたのは、パレスチナも飯館村も同じだ。
時折、様子を見に飯館村の自宅に帰る榮子さんたち。地震の被害を受けていない家は、見た目には変わらない。除染作業で山積みされた土に、放射能の存在を突きつけられる。原発さえなければ、孫に囲まれて楽しく暮らしているはずだった。故郷の山を見ながら、「皆を楽しませてくれた山だった。楽しかったなぁ」とつぶやく榮子さん。いつ帰れるかわからない故郷への思いをずっしり感じて、胸がいっぱいになった。(咲)
配給:映像グループ ローポジション
製作:映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会
2016年/95分/HD/ドキュメンタリー
公式サイト:http://www.iitate-mother.com/
★2016年5月7日(土)より ポレポレ東中野でロードショー
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