2016年01月16日
ふたりの死刑囚
監督:鎌田麗香
プロデューサー:齊藤潤一
撮影:坂井洋紀
昭和41年「袴田事件」:清水市の味噌会社専務の住宅が焼け、家族4人の焼死体が見つかった。当時従業員だった袴田巖(30歳)の部屋から血のついた衣服が発見され逮捕。公判開始から無実であること、自白は強要されたとして冤罪を主張したが1980年死刑が確定する。
2014年3月27日静岡地方裁判所は再審開始を決定、死刑の執行と拘置の執行を停止した。同日47年7ヶ月ぶりに釈放。78歳になっていた。長年の拘置所生活による拘禁反応で精神に障害が残っている。
昭和36年「名張毒ぶどう酒事件」:三重県名張市の小さな村の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。奥西勝(35歳)が容疑者とされ、三角関係を清算するため農薬を混入したと自白するが、逮捕後無実を訴える。1972年の死刑判決後、冤罪を主張して再審請求を繰り返したが、2012年より体調悪化のため医療刑務所に収容。寝たきりの生活を送っていたが、肺炎により2015年10月4日死亡(享年89歳)、第9次の請求は奥西勝の死亡により棄却された。
死刑判決の出た事件で後に逆転無罪になった例はどのくらいあるのでしょう?容疑者の自白を重く見ていた時代には、冤罪が多発していたのでは?と素人の私でも思いが至ります。DNA鑑定が精確になり、科学的な証拠を積み重ねられる現代は潔白を証明しやすくなったのかもしれません。しかし、冤罪事件の真実と真犯人はいったいどこに?(白)
2015年/日本/カラー/HD/16:9/85分
配給:東海テレビ放送
(C)東海テレビ放送
http://www.futarinoshikeisyu.jp/
★2016年1月16日(土)ポレポレ東中野にて緊急公開
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