監督:ジョシュア・オッペンハイマー
撮影:ラース・スクリー
1965年9月30日、インドネシアで発生したクーデター未遂事件。失脚したスカルノ大統領の後の座におさまったスハルト少将らは、事件の背後には共産党がいたとして非難した。その後1、2年間に100万人以上の共産党関係者が虐殺された。陸軍が直接あたったのではなく、反対勢力や民間人を扇動し武器を渡して殺害させた。共産党員を殺した加害者は法的制裁を課せられず、罪の意識はない。被害者や家族は恐怖のため口をつぐむしかなかった。2012年オッペンハイマー監督が世に出したドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』では、加害者たちがカメラの前で殺害の様子を誇らしげに語り、喜々として再現して見せている。
兄の死後に生まれ、母親からも詳しく聞かされなかったアディは、兄に手を下した加害者のインタビュー映像を観て衝撃を受ける。彼らに会い、謝罪してもらいたいと、メガネ技師の腕を生かし無料の検眼をしながら相手と話すことにした。
アディが被害者家族と知ると必ず「上からの命令でやっただけ」と言い逃れをする。誰一人謝罪の言葉を発することもない。行為を扇動し、容認してきた社会が背景にあるが、一人の人間として思うことは何もないのかと愕然とする。
冷静に語りかけるアディの心中は察するに余りある。この作品が世界中に知られ、被害者のせめてもの供養になったことだけは良かったと思う。(白)
軍部は自分たちで手をくださず、イスラーム教徒やならず者をうまく利用して虐殺を実行させた。ある信心深いイスラーム教徒は、「共産主義者は無神論者だから罰していい」と悪びれない。実際、軍部の手先となって虐殺の加害者となった民間人は、罰せられないどころか、その見返りに金や権力を得て、地域にのさばっている。身内を虐殺された家族が、ほかの地に逃げる術もなく、息を殺して暮らしていることに、どんな思いだろうと身の毛がよだった。
本作の中心人物アディは、自分の生まれてくる前に殺された兄や、今も怯えながら暮らす母のために、加害者に罪を認めさせたいという思いで、「無料の視力検査」を行うという名目で加害者に近づく。『アクト・オブ・キリング』で、加害者たちが誇らしげに共産主義者を惨殺したことを語る様子が描かれていたが、本作でも、加害者たちは被害者の関係者だとわかっても、決して謝罪することはない。1960年代当時、虐殺された100万人とも200万人とも言われる犠牲者。被害者の家族が、インドネシアの各地で加害者への恨みをはらせないまま暮らしていることに、言葉もない。(咲)
『アクト・オブ・キリング』作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/393841128.html
2014年/デンマーク・フィンランド・インドネシア・ノルウェー・イギリス合作/カラー//103分
配給:トランスフォーマー
(C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
http://los-movie.com/
★2015年7月4日(土) シアター・イメージフォーラム他全国順次公開