2015年02月22日

わたしの、終わらない旅

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製作・監督・撮影・編集:坂田雅子
プロデューサー:山上徹二郎
編集:大重裕二
整音:小川 武

アメリカ人の夫グレッグ・デイビスを肝臓癌で亡くした坂田監督。その原因がベトナム戦争時に浴びた枯葉剤ではないかと探求し、『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』の2本の映画にまとめあげた。
監督の新たなテーマは、兵器と原発の二面性を持つ核エネルギー。

2011年3月の福島第一原発事故。監督は呆然としながら、亡き母が1977年から続けていた原発を問うミニコミ紙をまとめた「聞いてください」と題された本を手に取る。福島の人はどんな思い? 震災の3ヶ月後に福島へ。10回以上通い映像も撮ったが、現在進行形のことを映画化する難しさを感じた監督。視点を海外に向ける。
長野県須坂に住む母が一人で冊子を作り配り始めたきっかけは、英仏海峡のガンジー島(英国)に住む姉・悠子からの1通の手紙だった。
1976年、対岸に見えるラ・アーグ核燃料再処理工場の操業が始まり、そこから漏れる放射能で牛乳や海産物が汚染され被害が出始める。さらに、日本の原発の廃棄物の大部分がそこで再処理されることを知った姉が、日本での資料を求めてきたものだった。もともと消費者運動や原水禁に関心のあった母は、原発について調べ始めたのだ。
監督は、母の思いを胸に、どうして私たちはこんなところまできてしまったのか、何ができるのかと、まずフランスのラ・アーグに飛ぶ。
そこで知ったのは、住民には、家電工場が出来る、雇用が増えるとだまして建設。しかも原子力庁が核廃棄物処理を民間会社にゆだねているという事実。放射能は海に垂れ流しというずさんさだった。
ラ・アーグ行を相談したフランスの友人が、1970年代に取材に来た日本の記者や電力会社の人たちから、さかんに「核の平和利用」という言葉を聞き、フランスでは核といえば軍事なのにと首をかしげたという。監督はそもそもの核の軍事利用に目を向ける。
次に監督は、米国が「人類のために役立てたい」と核実験を重ねてきたマーシャル諸島に飛ぶ。ジャーナリストだった夫が「米国が安全という名のもとにやってきたこと」を取材した場所でもある。23回の核実験が行われたビキニ環礁から避難した人たちの住むキリ島を夫の写真に導かれるように訪ねる。1970年に安全宣言が出されビキニに帰島するが、多くの人が癌で亡くなり再び島を離れる。いまだ帰島許可は出ず、お墓参りにもいけないと人々は嘆く。
そして、監督のさらなる旅はカザフスタン。ソ連時代の1949年〜89年の40年間に470回以上の核実験が行われている。セメイ市の病院では、癌や先天異常が多く、医師が次世代への影響を心配する。国は核実験のせいだと認めないと、自ら病を抱える女医。
臭いも色もない放射能の恐ろしさ。核の真実を求めて、監督の旅は始まったばかり。次はどこへ行くのか・・・

先日、マーシャル諸島に派遣されていた青年海外協力隊員の報告を聴く機会がありました。日本に対して、同じ被爆国としての親近感を持ち、反米の思いも強いとのこと。一方、同じマーシャル国民でも、被爆認定された人たちはアメリカから手厚い援助を受けて、かなりいい暮らしをしているので、やっかみもあるそうです。映画、『放射線を浴びたX年後』を観ても、水爆実験の影響が広範囲にわたっているのは明らか。被爆認定を受けている人たちが狭い範囲に限られているのは解せません。
それにしても、坂田監督のお母様はすごい。手書きのガリ版刷から、ひたむきさが伝わってきます。思えば、私が第五福竜丸を知ったのは、母に連れられて訪れた夢の島の展示館でした。母も反核の思いが強く、坂田監督のお母様のように積極的な活動はしないまでも、講演会にはよく出かけていました。戦争を体験した世代は、あの時代を子どもたちに味あわせたくないという思いがことさら強いのだと感じます。(咲)


製作協力・配給:株式会社シグロ
2014年/日本/日本語・英語・仏語・ロシア語/78分/カラー
公式サイト:http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
★2014年3月7日(土)ポレポレ東中野ほか全国順次公開


posted by sakiko at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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