カンボジア映画として、日本で初の一般劇場公開となるリティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』。
権力者による市民に対する大虐殺を描いた作品としては、4月の封切り以後、大ヒットロングランのインドネシア1965年の市民大虐殺の実態を、加害者による再現という驚愕の手法の『アクト・オブ・キリング』同様、まさに今見るべき映画として大きな注目を集めている。
リティ・パニュはボル・ボトが政権を握った75年、クメール・ルージュの都市住民に対する大粛清で、プノンペンから農村の強制労働キャンプに送り込まれた。家族中唯一生き延び、79年にタイ難民キャンプにたどり着いたたリティ当時15才、翌年パリに移住する。
その後パリ高等映画学院で映画を学び、80年代末よりカンボジアを主要なテーマとして、数多くのドキュメンタリーと劇映画を撮り続けている。
日本では、山形国際ドキュメンタリー映画祭で多くの作品が上映され、何度も賞を獲得している。劇映画では『戦争の後の美しい夕べ』(98、東京国際)は劇映画デビュー作『ネアック・スラエ 稲作の人びと』(94)も共にカンヌのコンペ部門に出品されている。
今回「虐殺の記憶を超えてーリティ・パニュ監督特集」でも上映される、『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(02)は、手法の「驚愕性」という点では『アクト・オブ・キリング』以上の衝撃を世界各国で与えた。
生きて出ることは決してできないと言われた、プノンペンの政治犯収容所「S21」(トゥール・スレン)。元リセ(フランスの教育システムの高校にあたり、インドシナ旧植民地にもあった)、現トゥール・スレン虐殺犯罪博物館。奇跡的に生還した被害者と加害者(看守)が25年を経て対峙し、当時の過酷な状況を語る。
アジアを撮るドキュメンタリー監督としては、ワン・ビンと双璧の厳格な作風と評されるリティ・パニュ。今回の『消えた画 クメール・ルージュの真実』は、多くの命が失われた大地から採られた泥で作られた人形による素朴でいて巧みなジオラマで、当時の悲劇の顛末の再現と、モノクロのクメール・ルージュのプロパガンダフィルム、僅かに残っていたカンボジアの日常生活の実写映像で構成されている。
今までの作品では見られなかったリティ・パニュ自身の、家族と故郷を喪失したカンボジア人としての出自・視線が、もう二度と取り戻せない「命」と「記憶」を素朴な土人形による再現という、思いもよらない手法で鮮烈に描かれ(語られ)ている。
何しろ、クメール・ルージュは都市のあらゆる知識層を、戦争や政治の混乱で荒廃した農村に追いやり、当時盛んだった映画やアート・文学・宗教に関わる人材も作品も全て否定して粛清・破壊しつくしたのだ。(知識層を目の敵にしたのは、ポル・ポトはじめ幹部達は、実は国費のパリ留学組インテリという背景を都市の知識層に指摘されることを恐れた、という説もある。)
今までの作品で語られることの無かった、リティ・パニュ自身の家族や当時の豊かな都市生活の追憶も語られる。勿論素朴な土人形達は自ら喋らないが、主人公(リティ・パニュ自身)の「語り」は詩的で美しく/物悲しく、豊穣だ。
学校制度整備に尽力した教育者だった父は、キャンプに送られた後、クメール・ルージュに反する自らの意思で食を絶ち絶命した。リティは来日時、もしクメール・ルージュの悲劇がなければ、自分も教師になっていただろうと語っていた。
強制労働キャンプ以降のシーンは、当時すべての人が個人否定のユニフォームとして与えらた黒服を纏った人形による再現で「失われた」カンボジア人民の悲劇を、なお更強く見るもの心に訴え、交互に挿入されるモノクロのプロパガンダ映像の虚構性を際立たせている。
一方、悲劇が起こる前のプノンペンの都市生活は、とても豊かで甘美なものであったことが分かる。文学を愛する父、やさしい母、亡くなった兄はロックバンドを組んでいて、近所に映画監督が住んでいて、横丁では度々ロケをやっていた・・。(シアヌーク国王は自ら監督・主演もするなど、カンボジア映画の振興に尽力していたことでも知られる)
この作品を見て、思い返したのは東京国際で見た『戦争の後の美しい夕べ』だ。
劇映画としては、すこぶる東南アジア的メロドラマで、一連のドキュメンタリー作品でリティ・パニュと出会った観客の方たちからすると、意外な作品かも知れない。時代はUNTACがカンボジアに入った92年。混沌のプノンペンで、クメール・ルージュとの戦いから復員した天涯孤独の兵士と田舎の家族を養うためナイトクラブで働くホステスとの悲恋物語である。前作『ネアック・スラエ 稲作の人びと』はポル・ポト政権崩壊後の農村で水牛を引き米を育て仏と精霊を信じるカンボジア人本来の「ネアック・スラエ=稲作をする人」の生活を精緻なドキュメンタリータッチの描写と、彼らが引きずる暗黒時代のトラウマで精神を病む一家の母や白昼夢と対比させ、混乱と喪失感に満ちた当時を描いている。まったくタッチの違う二つの作品は実は前後編と言え、ホステスは元兵士と連れ立ち田舎に帰郷し、農作業を手伝い束の間の幸福な「稲作の人びと」となる。母は夫を戦闘で亡くし、やはり精神を病み家に閉じ込められている。
この二つの作品に先立つ90年、リティ・パニュは11年ぶりにカンボジアに戻った。
元来は都市のインテリ層で「稲作の人びと」とは遠かったリティ・パニュは、皮肉にもキャンプに送られた事で、カンボジア人の原風景を体験し学んだとも言える。
リティ・パニュはすべての人材と技術、伝統と財産が失われたカンボジア映画の為に「ボファナ視聴覚資産センター」をプノンペンに設立し、パリとプノンペンを行き来して多くの若き次世代の映画人の育成にも力を入れている。『消えた絵』本編にも折々に人形の製作過程が挿入されているが、全ての土人形もセンターの若き美術スタッフによりひとつひとつ魂を込めつつ作られたものだ。11年に東京国際、アジアフォーカスでも上映された『飼育』(大江健三郎原作の翻案)は、初めてカンボジア人の映画プロフェッショナルスタッフによって完成した作品あるという。
「消えた絵の」終盤、両親がリティ・パニュに語りかける微笑ましいくだりがある・・「お前はクメール・ルージュの映画ばっかり撮り続けるのかい?」
長らく国内外の権力闘争に翻弄され続けてきたカンボジア人自身が過去の悲劇を検証しなければならないし、自ら未来を編んでいかなくてはならない。リティ・パニュはそれを映画で実践している人なのだ。
付記)
劇場公開に併せ、『消えた絵』の卵とも言えるリティ・パニュの著作が出版された。
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『消去: 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4773814160/ref=ox_sc_act_title_1?ie=UTF8&psc=1&smid=AN1VRQE
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