監督・撮影・編集:代島治彦
出演:高田 渡、中川イサト、中川五郎
語り:田川 律
題字・絵:南 椌椌
ピアニカ演奏:ロケット・マツ
整音:田辺信道、滝澤 修
宣伝美術:カワカミオサム
タカダワタルハ、イキテル!
2005年、56歳で亡くなったフォークシンガー高田渡。北海道ツアー中の2005年4月4日に倒れ、その12日後に亡くなったという。それから12年になる。
「自衛隊に入ろう」「生活の柄」「ブラザー軒」「ごあいさつ」などの曲が知られているが、1968年、関西フォークキャンプで「自衛隊に入ろう」を唄い注目された。自作の他、明治・大正・昭和の演歌師や山之口貘や金子光晴など詩人の現代詩に曲をつけたスタイルを確立。また、アメリカの民謡曲に自身の詞を重ねたりと、そんな独自の手法で歌を作り出し、40年近く全国各地で歌い続けた。2004年に公開された『タカダワタル的』で高田渡を知った人もいるかもしれない。独自のスタイル、雰囲気を持ったライブで知られる。
『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』は、倒れる1週間前の3月27日に東京、高円寺の居酒屋で行われたライブの模様を記録したもの。約30人ほどの観客の前で披露した東京でのラストライブの映像を中心に構成。ライブに出かけるところから、終わって帰るところまでの貴重な記録です。渡さんの飄々とした姿を観ることができる。
まさか、亡くなってから12年もたって、また高田渡の映像を見ることができるとは思ってもみなかった。私にとって、なんだか縁のある歌い手なのである。高校時代、バイトして初めて買ったレコードが高田渡と五つの赤い風船カップリングのLPだったし、その後、下北沢や吉祥寺のライブにも何度か行った。
そして、武蔵野市に引越した1980年代以降、近所で時々、渡さんが歩いているのを見かけた。時にはギターを背負い、あるいは酒屋で酒を買っていたりで(笑)、近所に住んでいるんだなと思っていた。そして1990年代に引越したアパートが、なんと高田渡さんが住んでいたアパートだった。引越した当日、水道が出なくて困っていたら、仙人のような風貌の渡さんが出てきて「確か水道の元栓はここだったな」と言って、元栓を開けてくれた。まさかの渡さんの登場でビックリした。その後のエピソードなどはスタッフ日記で紹介しています。8年くらい同じアパートの住民で、高田家の斜め上の部屋に住んでいた。もうそのアパートは取り壊されてしまったけど、この映画の最後、なんとアパートの取り壊しの日の映像まで出てきてびっくり。それに、映画の冒頭、渡さんがアパートから出発するシーンで、かつて私の部屋だった窓が出てきて思わずのけぞってしまった(笑)。
ライブでは、前年に亡くなった坂庭省吾さんのギターを初めて弾いたそう。思わずギターと指運びに目が釘付け。でも坂庭省吾さんが亡くなっていたことを知らなくて、この作品で知った。高田渡さん以外には、中川イサトさんと中川五郎さんが登場し、渡さんの人となり、追悼の文章などを語っていた。
映画が公開された5月7日、小室等さんがゲストの時に観にいった。その時、小室さんが語っていたけど、このギターは、後に競売にかけられ、高田渡さんが一回弾いたというプレミアがついて、100万円もの値段で落札されたとのこと。この日、小室等さんはトークだけでなく、「コーヒーブルース」「生活の柄」など高田渡さんの歌も歌ってくれた。実は、このライブで高田渡さんは、いつも最後に「生活の柄」を歌っていて飽きちゃったから今日は歌わないと言って「夕暮れ」という曲を歌った。それはそれでよかったんだけど、でもやっぱり「生活の柄」が聴きたかったなと実は思っていたので、この曲が聴けて嬉しかった。
この曲は高田渡ファンのバイブルみたいな曲だけど、私は渡さん以外の人が歌うこの曲とタイミングが合うらしく、小室等さん以外に、大杉漣さん、モロ師岡さんが歌っているのを見たことがある。大杉漣さんは『タカダワタル的』を観にいった時(2004年)、ゲストで来ていて歌ってくれた(ちなみに「漣」という芸名は、渡さんの息子の高田漣さんの名前からと言っていた)。モロ師岡さんが歌っているのを見たのは今年(2017年)4月頃偶然見たTV番組の中。高田渡さんのファンだというモロ師岡さんが「生活の柄」の原点を訪ねて沖縄に行くという内容で、那覇・栄町市場にある酒処「生活の柄」に行き、マスターと二人でこの歌を歌っているシーンが流れた。そして、今回、小室等さんの歌うこの曲を聴いた。どうも、この曲と縁があるらしい。皆さん、それぞれ味がありましたが、やはり高田渡さんが歌う、この歌をもう一度聴きたいと思う私です(暁)。
2017年/カラー・B&W/デジタル/74 分
配給協力:アップリンク、TONE
製作・配給:スコブル工房