監督・製作・編集 ユリコ・ガモウ・ロマー
キャスト 福田敬子 シェリー・フェルナンデス 山口香
つよく、やさしく、うつくしく
世界に柔道を普及させることに尽力した女性柔道家・福田敬子の生涯を記録したドキュメンタリー。1913年、東京で生まれた福田敬子は、21歳(1935年)の時、講道館柔道の創始者嘉納治五郎の薦めで講道館女子部に入門。男子柔道が正式種目になった1964年の東京オリンピックでは、エキシビションで柔道の型を披露。1966年、52歳で柔道の国際的普及のために渡米。80歳を過ぎるまで世界各地で柔道の普及のため尽力。
本人への取材、関係者の証言、講道館女子部の乱取りの貴重な映像をところどころに挟み、様々な苦難に遭いながらも柔道とともに歩んだ生涯を描いている。2013年に、99歳で亡くなるまで、柔道の心を説き続けた。結婚しても柔道を続けられる時代ではなく「結婚ではなく柔道の道を選んだ」と語っていた。女子の試合は禁止されていて世界柔道選手権大会女子の部は1980年から。そんな中で柔道を続け、2011年にアメリカ柔道連盟より柔道の最高段位である十段を授与された。女性では唯一の十段取得である。日本での段位は講道館九段とのこと。
2009年の「日本への里帰り」の様子も描かれるが、最晩年、車いすの姿ながらサンフランシスコの道場で「大外刈や膝車が柔道ではありません。良い人間になることが柔道です」と弟子達に英語で語りかける。
監督は、何かやってみたいと思っているけどできていない人、チャレンジしてみたいけどなかなか最初の一歩が踏み出せない人にぜひ観てほしいと語っています。
柔道を世界に広めた女性がいたなんて、全然知らなかった。しかも1964年の東京オリンピックの時のエキシビションで柔道の型を披露していたということは、私はそれをTVで見たかもしれない。50代で渡米後、日本に戻っても活躍する場がなく、アメリカに留まったというような事情もあったらしいが、その時、アメリカの友人が手を差し伸べてくれて、アメリカで柔道を続けることができた。女性の活躍という意味では、オリンピックで活躍した女性でも、今も日本では活躍の場が開けていないということがトークシショーで語られていた。そのレポートはまた、のちほどスタッフ日記に。
福田敬子さんは嘉納治五郎に直接指導を受けた最後の人で、祖父福田八之助は嘉納治五郎の柔術の師だったという。(暁)
製作年 2013年 アメリカ 上映時間58分
配給 パンドラ
2016年12月3日アップリンク渋谷にて公開
http://www.pan-dora.co.jp/?p=3535