2016年08月23日

人間爆弾「桜花」 〜特攻を命じた兵士の遺言〜

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監督:澤田正道
プロデューサー:澤田正道、アンヌ・ペルノー
ラインプロデューサー:天田暦、ローラン・アルジャニ
撮影:ジョゼ・デエー 出演:林冨士夫

人間爆弾と言われた特攻兵器「桜花」の第一志願兵だった林冨士夫。
当時、海軍大尉であった彼は、上官からの命令で隊員の中から出撃隊員を選ぶ… その名を黒板に書き、多くの同志達を死へと送り出す役目を担っていた。そして終戦−− 林はあの時代に向き合い続けること、語り継ぐことを自身に課していく。そんな中、天皇に対し「特攻に散った若者たちへ一言も謝罪、感謝の発言が無かったことは非常に残念なことと思いました。その一言くらい言われるのが、人間天皇という事になるのではないか」と無念の思いを吐露する−−。

第67回ロカルノ国際映画祭、新人監督賞スペシャル・メンション受賞。
これまで河瀬直美作品や黒沢清作品など多くの日本映画をプロデュースしてきた澤田正道さんの初監督作品。亡き特攻隊員に語りかける林冨士夫の遺言ともいうべきドキュメンタリー。ただただ静かにカメラと対話するこのスタイルは2007年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で観たワン・ビン監督『フォン・ミン〜中国の記憶〜』を想い起させる。当初はフランスのベルトラン・ボネロ監督にドキュメンタリーを企画していたが作品の方向性が定まらず、結果的に断念し、澤田さん自ら監督することになったそう… アメリカ軍から「バカ爆弾」と呼ばれた「桜花」は、多くの場合「桜花」を運ぶ母機が目的地に辿り着く前に撃墜され、さしたる結果を上げることなかったとか…。そして、この「桜花」の舞台は茨城県で、以前私は笠間の陶芸市へ遊びに行く時に笠間の隣り、JR友部駅に海軍航空隊記念館があると知り、寄ってみたかったのだが時間が足りず残念無念… 次回は是非訪れたい!! 筑波海軍航空隊記念館 http://www.ibarakiguide.jp/seasons/tsukuba-kaigun.html 
映画の主役である林さんは、フランスでの上映初日に93歳で息を引き取った。  (千)

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原題:Parole de kamikaze
2014/フランス/太秦  (C)Comme des Cinemas
公式サイト https://kamikazeouka.wordpress.com/
★8月27日より渋谷イメージフォーラムほか全国順次公開



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2016年08月21日

リトル・ボーイ 小さなボクと戦争  原題:LITTLE BOY

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監督:アレハンドロ・モンテヴェルデ
脚本:アレハンドロ・モンテヴェルデ ペペ・ポーティーロ
出演:ジェイコブ・サルヴァーティ、エミリー・ワトソン、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、マイケル・ラパポート、デヴィッド・ヘンリー、エドゥアルド・ヴェラステーギ、ベン・チャップリン、トム・ウィルキンソン

第二次世界大戦下のアメリカ、カリフォルニア州の小さな漁村。少年ペッパーは8歳なのに、99cmしかなくてリトル・ボーイといじめられていた。唯一の友達は父ジェームズ。ところが、兄ロンドンが偏平足のため徴兵検査に落ち、父が徴兵されてしまう。しょげているペッパーを兄は父が大好きだった奇術師のショーに連れて行く。壇上に呼ばれ念力を使うことに成功したペッパーは、戦場の父に念を送り続ける。やがて父が捕虜になったとの知らせが届く。
ある日、米国への忠誠心を示し収容所から釈放された日系人ハシモトが村に越してくる。父を捕虜にした日本兵を想像しハシモトの家に石を投げるペッパー。司祭はペッパーに信仰を示すリストを渡し、やり遂げれば父が帰るという願いは叶うと諭す。「飢えた人に食べ物を」などと書かれたリストの最後には、「ハシモトに親切を」とあった。
翌日からペッパーはハシモトの家に通う。兄は弟が日系人と付き合うのが不満だ。リストを完遂すれば父が帰るという話も信じがたい。ペッパーは辛子の粒程の信仰心があれば山だって動かせると、山に念を送る。地震が起こり、町の人たちはペッパーを信じるようになる。
やがて、広島に原子爆弾「リトル・ボーイ」が投下され戦争が終わる。ペッパーの念が通じたと町の人たちは大喜び。だがペッパーは、捕虜の父は立場が悪くなるし、大勢の人が死んだのは自分のせいだと悩む・・・

ペッパーは仕方なくハシモトと付き合い始めるのですが、だんだんハシモトと心を通わせていきます。ハシモトは、モンゴルが日本に攻めてきた時に勇敢に戦った小柄な侍マサオ・クメの話をしてペッパーを励まします。この話、聞いたことがないのですが、監督はどこから探し出してきたのでしょう。
監督は、10代の頃にメキシコからアメリカに移民。第二次世界大戦の時に、日系人が強制収容されたことや、捕虜になった米国兵のことなど、知らなかった歴史に興味を持ち、当時の米国の普通の家庭を舞台に本作の脚本を執筆。広島に投下された原子爆弾が“LITTLE BOY”と呼ばれていたことから、小柄な少年を主人公に仕立てます。
父親が戦地にいって不在の中、ペッパー少年の心のよりどころになったのが、カトリックの司祭と、当時、米国社会で差別されていた日系人のハシモト。二人の言葉のいくつもがペッパーだけでなく、映画を観ている私にも響きました。中でも、「できると信じていることは、やったほうがいい」というハシモトの言葉が心に残っています。(咲)


2014年/アメリカ/ 5.1ch/シネマスコープ/カラー/デジタル
配給:東京テアトル
公式サイト:http://www.littleboy-movie.jp
★2016年8月27日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、ユーロスペースほか全国ロードショー
posted by sakiko at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海峡を越えた野球少年  原題:グラウンドの異邦人  英題: STRANGERS ON THE FIELD

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監督・撮影・編集: キム・ミョンジュン (『ウリハッキョ』)
製作: クァク・ヨンス
プロデューサー・撮影: チョ・ウンソン (『60万回のトライ』)
日本プロデューサー: 力武俊行
音楽: カン・サング
ナレーション: クォン・ヘヒョ (「冬のソナタ」「私の名前はキム・サンスン」)
出演:李孝範、姜孝雄(セカンド)、権仁志(キャッチャー)、金勤(レフト)、菲俊漢(サード)、梁視鉄(ピッチャー)、張基浩(センター)

朝鮮戦争後の1956年、戦後復興のため「鳳凰(ポンファン)大旗全国高校野球大会」の開催が始まった。予選なしで韓国全ての高校チーム約50校が参加できるという大会で、一大センセーションを巻き起こした。さらに、もう一つの大きな話題が、在日韓国人の高校生から選抜した在日学生野球チームを招聘したことだった。当時、日本と韓国の高校球児のレベルの差は大きく、洗練された在日チームのプレイは、韓国の球児を刺激し、その後の野球ブームの礎となった。在日高校球児の祖国訪問試合は、韓国の経済が大きく落ち込む1997年まで続いた。その42年の間に、海を越えた在日球児は約620名。在日チームは、74年、82年、84年の3回準優勝している。
その82年に決勝戦まで勝ち進んだ在日同胞チームのメンバーにプロ野球の始球式に登板してもらおうという企画が持ち上がる。熱心な韓国の野球ファンが日本にやってきて、当時の選手を探すが難航する・・・

キム・ミョンジュン監督は、「誰かが伝えないと、この海を渡った在日高校球児のことが、韓国の野球史から忘れ去られてしまう」という言葉を耳にして気になり、野球のことはよく知らないながら、監督を引き受けたそうです。
在日野球球児の多くが、日本語のほうが堪能で、意思疎通が上手く出来るか、在日というアイデンティティによる様々な事情があって取材に応じてくれるかどうかなどの不安があったそうですが、ゆかりのある人たちの協力を得て取材を進め、本作が仕上がりました。
日本と韓国の間で、こんな野球史もあったのだと興味深く拝見しました。
30年の時を経て集まった高校球児たち。選抜チームとして、その年、単発的に集められた彼らにとって、ほんとに思いがけない再会だったのでしょう。苦楽を共にした高校時代に一気に戻ってはしゃぐ姿に、かけがえのない思い出を持っていることをうらやましく思いました。ちょうど私も、4年に一度の高校の同期会があったばかりで、あ〜青春時代だったなぁ〜と。(咲)


2014年/韓国/103分/16.9/カラー・モノクロ/ドキュメンタリー
配給: スプリングハズカム  配給協力: 太秦
公式サイト:https://www.facebook.com/yakyusyonen/
★2016年8月20日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー
posted by sakiko at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

健さん

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監督:日比遊一
撮影:戸田義久
音楽:岩代太郎
出演:高倉健、マイケル・ダグラス、マーティン・スコセッシ、ジョン・ウー、降旗 康男、澤島 忠、山田 洋次、中野 良子、中井 貴一(語り)

2014年11月10日、日本映画のひとつの時代を作った“映画スター”高倉健さんが亡くなった。健さんを敬愛した映画人たちが、それぞれに健さんへの思いを語るドキュメンタリー。男が惚れる男なんですね。みんなどんだけ好きなんでしょ、と思うほど愛情たっぷりです。
健さんの肉声がありました。
「漫然と生きるのではなく、一生懸命生きる男を演じたい」
「どんなに大声を出しても、伝わらないものは伝わらない。
言葉が少ないほうがむしろ伝わると思っています」

この言葉のとおりに生きた健さんと同じ時代を過ごした私たちはラッキーでした。義理に身を投じる潔さ、寡黙で誠実な生き様、男の理想の姿を銀幕で体現してくれた健さん。新しい作品はもう増えることはありませんが、数多く残してくれた出演作をもう一度見直したくなりました。(白)

2016年/日本/カラー/95分
(C)2016 Team “KEN SAN”
配給:レスぺ
http://respect-film.co.jp/kensan/
★ 2016年8月20日(土)全国公開!
posted by shiraishi at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不思議惑星キン・ザ・ザ  デジタル・リマスター版

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監督:ゲオルギー・ダネリヤ
出演:ウエフ(太め):エヴゲーニー・レオノフ
ビー(ノッポ):ユーリー・ヤコヴレフ 
マシコフ(おじさん/建築技師): スタニスラフ・リュブジン
ゲデバン(バイオリン弾き/学生)レヴァン・ガブリアゼ

冬のモスクワ。妻に買い物を頼まれたマシコフは、街角でバイオリンを抱えた青年に「あそこに自分のことを異星人だという男がいる」と言われ、二人で声をかける。「この星の座標を教えてくれ」と裸足で震える自称異星人。彼の持つ〈空間移動装置〉をマシコフがうっかり押し、マシコフと青年は砂漠のど真ん中にワープしてしまう。
やがて奇妙な音を立てて釣鐘型の宇宙船がやって来て、こぎたない男が二人降りてくる。ロシア語はもちろん、英語もフランス語も通じない。返ってくるのは「クー」という言葉ばかりで埒が明かない。マシコフがタバコを喫おうと、マッチを擦った瞬間、マッチを欲しがる男たち。「街まで宇宙船に乗せてくれるなら、“クー”だ」と交渉するマシコフ。
二人がワープしたのはキン・ザ・ザ青雲のプリュク星。ここではマッチが貴重品らしいと悟ったマシコフ。ポケットにある二箱のマッチで、なんとか地球に帰れるのではと画策する・・・

ソ連時代のジョージア(グルジア)で製作され、完成時の試写で批評家には酷評されたのに、当時のソ連で大ヒットしたSFコメディ。日本では89年に都内で行われた「ソビエトSF映画祭」で紹介され、2001年にニュープリントで劇場公開。この度、デジタル・リマスター版で公開。

「クー」だけで、会話が成り立つ不思議惑星。脱力系SFコメディと、宣伝文句にある通り、なんともほんわかしたSFです。
思えば、言葉の通じないどうし、言葉の抑揚や顔や動作でお互いの気持ちは通じるもの。
10月に公開されるインド映画『PK』では、アーミル・カーン演じる宇宙人がインドの沙漠に降り立ち、握手を交わしてインドの言葉を吸収しますが、こちらの「クー」だけで会話が成り立つ方が自然かも。
それにしても、地球と同じように、「人間」が住む星はあるのでしょうか・・・ (咲)


製作:モスフィルム・スタジオ c Mosfilm Cinema Concern, 1986 
提供・配給:パンドラ + キングレコード
1986年/ソ連+ジョージア共和国/カラー/デジタル/135分
公式サイト:http://www.kin-dza-dza-kuu.com/
★2016年8月20日(土)〜新宿シネマカリテにてレイトショー!


posted by sakiko at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | グルジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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