2016年05月08日

ふたりの桃源郷

hutari.jpg

監督:佐々木聰
ナレーション: 吉岡秀隆

山口県岩国市美和町の電気も水道もない山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。戦争で焼け出されたふたりは、農地改革で売り出された山あいの土地を買って、自分たちの手で畑を耕し、薪を集めて、自給自足の生活をしてきました。その後、大阪に移り住み、寅夫さんはタクシー運転手をしながら3人の娘たちを育て上げます。子育てを終えた寅夫さん夫婦は、18年ぶりに山に帰る決意をします。再び、電気も水道もないけれど、大自然に囲まれた暮らし。
自給自足していた二人にも、やがて老いが訪れます。山のふもとの老人ホームに入りますが、「テレビを観てばかりいるとボケる」と、寅夫さんはトラックを自分で運転して30分かけて山に入り、フサコさんと畑仕事。時折、3人の娘たちも夫婦で山を訪れます。
こんな寅夫さんたちの家族を、山口放送は足かけ25年にわたって追い、テレビの人気ドキュメンタリーシリーズ「ふたりの桃源郷」として、短いものから1時間ほどの長いものまで何度も放映してきました。本作は、これまで撮りためたものをもとに、さらに取材して映画化したもの。

寅夫さんの口癖は、「自分の食べるものは自分で作る」
人間の営みの原点を観た思いがしました。
でも、寅夫さんたちは、山での自然に囲まれた暮らしに憧れて山奥の土地を買ったというよりも、戦後、農地改革で安く売りだされたものが、たまたま山奥だったようです。
先日、佐々木監督にお話をお伺いしたら、監督ご自身も制作の仕事がしたくて山口放送に入社したのではなく、東京での暮らしに馴染めないと、故郷山口で就職先を探した結果、山口放送に入社し、制作部門に配属されたとのこと。
人生、ひょんなことから生き方が変わるものだとつくづく感じました。
そして、本作で仲の良いふたりの姿を観ていて、あ〜私も若いころには、年を取ったら、長年連れ添った伴侶と仲良く手を繋いで過ごしたいと思っていたなぁ〜と思い出しました。(咲)

寅夫さんはなかなかハンサム、フサコさんは北林谷栄さん似で声も可愛いお似合いなご夫婦。戻りが遅い寅夫さんを心配して山に向かって「おとうさぁ〜ん」と呼びかけると、山から「お〜」と返事があってフサコさんはニッコリ。何年も経って寅夫さんは先に亡くなられ、認知症になったフサコさんは、寅夫さんが山に行ったまま帰らないと思っています。昔と同じように何度も呼びかける澄んだ声がいつまでも耳に残りました。
ご苦労も多かったでしょうが、なんと豊かな人生を全うされたのかと思います。娘さん夫婦が後を継いでくれて、人の営みが脈々と受け継がれていくのも素敵。お二人もきっと見つめておられるはずです。(白)


DSCF4128 sasaki kantoku.JPG
佐々木聰監督 インタビュー特別記事もぜひご覧ください。

製作著作:山口放送
協力:日本テレビ系列 NNNドキュメント
配給協力:ウッキー・プロダクション
2016年/87分/カラー/HD/日本/ドキュメンタリー
公式サイト:http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/
★2016年5月14日(土)よりポレポレ東中野(東京)、山口県内ほか全国順次公開

◎封切り以来満席が続いて上映期間延長になりました!
ポレポレ東中野では 連日12:30、16:50 2回上映
posted by sakiko at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

飯舘村の母ちゃんたち 土とともに

iidatemura.jpg

監督・撮影:古居みずえ
出演:菅野榮子 菅野芳子

福島県飯舘村佐須地区で長年暮らしてきた菅野榮子さん(昭和11年生まれ)と、菅野芳子さん(昭和12年生まれ)。二人は亡き夫どうしが親戚の関係だ。
畑で自給自足し、山の恵みを工夫し、楽しみながら自然と共に歩んできた人生だった。
2011年3月、福島第一原発の事故で、榮子さんたちの暮らしは一変する。飯舘村は全村避難となったのだ。榮子さんは家族と離れ、伊達東仮設住宅で一人暮らしを始める。芳子さんは、寝たきりの母親と治療中の父親と3人で息子のいる埼玉に避難する。避難先で両親を亡くした芳子さんは、8ヵ月後、伊達東仮設住宅の榮子さんの隣の部屋に越してくる。支えあいながら畑仕事に勤しむ二人。故郷の伝統的な食文化を絶やしたくないと、「さすのみそ」「凍み餅」「凍み豆腐」の作り方を各地に出向いて教えたりもするようになる。
飯館村では、帰村に向けて除染作業が行われているが、原発事故から5年、未だに10万人が避難生活を続けている・・・

思ったことをぱっと口にして笑いの絶えない榮子さんに、控えめでちょっと心配性の芳子さん。支えあいながら避難生活を送る二人を追ったのは、これまで30年以上にわたってパレスチナの取材を続け、『ガーダ パレスチナの詩』『ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-』などの映画を作った古居みずえ監督。暮らしていた土地を追われたのは、パレスチナも飯館村も同じだ。
時折、様子を見に飯館村の自宅に帰る榮子さんたち。地震の被害を受けていない家は、見た目には変わらない。除染作業で山積みされた土に、放射能の存在を突きつけられる。原発さえなければ、孫に囲まれて楽しく暮らしているはずだった。故郷の山を見ながら、「皆を楽しませてくれた山だった。楽しかったなぁ」とつぶやく榮子さん。いつ帰れるかわからない故郷への思いをずっしり感じて、胸がいっぱいになった。(咲)


配給:映像グループ ローポジション
製作:映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会
2016年/95分/HD/ドキュメンタリー
公式サイト:http://www.iitate-mother.com/
★2016年5月7日(土)より ポレポレ東中野でロードショー
posted by sakiko at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしの自由について〜SEALDs 2015〜

shealds.jpg

監督・製作・撮影・編集:西原孝至
撮影応援:山本大輔

2015年。平和国家として戦後70年間歩んできた日本。自民党はそのよりどころとなる日本国憲法の解釈を180度転換し、集団的自衛権の行使容認を含む新たな安保関連法案を国会に提出した。
これまで政治に無関心といわれた日本国民、その中でも若い世代が特に危機感を持った。学生団体「SEALDs」(シールズ : Students Emergency Action for Liberal Democracy-s / 自由と民主主義のための学生緊急行動)は、6月から毎週金曜に国会前で抗議行動を開始する。

数名の若者から始まった社会運動の半年間に密着したドキュメンタリーです。昨年SNSやメディアに幾度となく登場した「SEALDs」の抗議行動と中心となる奥田愛基くんをはじめとする若者たち。ネットでまたたくまに拡散し、多くの共感を集めました。彼らの軽やかなデモに、それまでどうやって声をあげればよいのか、どこで誰に訴えればいいのか、逡巡していた人たちを勇気づけ、背中を押してくれました。
ネットに自分の名前と顔が出るというのは、支持する人に届く代わりに、悪意にもさらされます。顔を見せない相手からのひどい中傷やバッシングにもあったはずです。勇気を持った若い人たちがこうやって自分の意見を言えることに、日本も捨てたもんじゃない、まだまだ希望はあると思いました。暑い夏、熱かった人たちとその志を忘れたくありません。まとまった記録に残ったことが嬉しいです。
選挙に棄権することを「意思表示」だという人がいますが、それは違う〜!まずは投票にいかなくちゃ。(白)


2016年/日本/カラー/HD/165分
配給:sky-key factory
(C)2016 sky-key factory, Takashi NISHIHARA
http://www.about-my-liberty.com/
★先行上映 渋谷アップリンク 4月20日(水)、5月3日(火・祝)〜10日(火)
★2016年5月14日(土)渋谷アップリンクほか全国順次ロードショー
posted by shiraishi at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サンマとカタール 女川つながる人々

sanmazatar.jpg

監督:乾弘明(『平成職人の挑戦』『蘇る玉虫厨子』『海峡をつなぐ光』『李藝』)
ナレーション:中井貴一
エンディングテーマ:『光−女川リミックス』 幹miki

宮城県女川町。石巻線の終着駅で、牡鹿半島の付け根にあるサンマの水揚げで有名な美しい港町。
2011年3月11日に起こった東日本大震災。町は根こそぎ津波にのまれてしまう。1万人の住民の1割近くが犠牲になり、8割以上が住まいを失った。何もなくなってしまった町の中心の更地に、中東カタールの義捐金で津波に対応できる冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設する。町の真ん中にどんと建つマスカーは、復興への希望の灯となる。
水産業をけん引する若いリーダーたちは、カタールへのお礼の気持ちも込めて、ハラール(イスラームの教えに沿った)のサンマや水産物の加工品を試作しカタールを訪れる・・・

本作は、カタールの義捐金を取り付けマスカー建設に奔走した女川魚市場買受人協同組合の石森洋悦さん、必死になって新しい町づくりのためにまい進している若者たちの代表として、復幸祭の実行委員長の阿部淳さん、そして、その新しい町に住む住民代表として阿部由理さんに焦点を当てて、大災害に見舞われた人々が、どんな思いで今を生きているかをあぶりだしていきます。女川町の須田善明町長も、行政側として、町づくりを担う人たちと一体となって動かれている様子が描かれています。

3月、若者たちが立ち上げた復幸祭で、「お〜い逃げろ!」の掛け声と共に山に向かって走るマラソン大会。津波の経験をいつまでも後世に伝えたいという気持ちが伝わってきます。復興ではなく、復幸という文字を使っていることにも、幸せな暮らしを取り戻したいという思いを感じて、じ〜んとさせられます。
5年前の、この東日本大震災の記憶もまだ新しい中で起こった熊本地震。また多くの方がこれまでの平穏な暮らしを奪われてしまいました。できるだけ早く安心して暮らせる日々を取り戻されることを祈るばかりです。
日本列島、いつどこで災害が起こるか予測がつきません。明日は我が身。当事者になった時に対応できるかどうか不安です。立ち直る原動力がいざとなったら沸き起こるでしょうか・・・ そんな時には『サンマとカタール』の若者たちを思い出して頑張れればと思います。

それにしても、『サンマとカタール』というタイトル、とても響きがよくて、いったいどんな映画?と、昨年来facebookで何度も見ていて気になっていました。日本イラン合作映画『風の絨毯』以来、映画作りまっしぐらの益田祐美子さん(本作のプロデューサー)が、思いついたに違いないと推測していたら、やっぱりそうでした。明るくほがらかな笑顔で資金をひねり出す益田さんと、沈着冷静な乾監督は、これまでにもタッグを組んで『平成職人の挑戦』『蘇る玉虫厨子』『海峡をつなぐ光』『李藝』と4本の映画を作っていて、本作が5本目。さて、次のテーマは?(咲)


★乾監督が日本経済新聞のウェブ版のNIKKEI STYLEに寄稿されています。
ぜひお読みください。
「町は住民にしかつくれない」 復興目指す宮城・女川
ドキュメンタリー映画「サンマとカタール」、監督・乾弘明


★3月7日に開かれた完成披露試写会の様子はスタッフ日記でどうぞ!
DSCF3406 sannma qatar.JPG

後援:宮城県/女川町/河北新報社 
制作:花組 
製作:日本カタールパートナーズ/平成プロジェクト 
配給:東京テアトル
公式サイト:http://onagawamovie.com
2016年/日本/73分/カラー/ビスタサイズ

★2016年5月7日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町他、全国順次公開
posted by sakiko at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする