1/9(土)〜22(金)2週間限定モーニングショー
監督・撮影 林雅行
撮影・編集 高良沙葵
撮影 伊藤文美、市川絵理子
音楽 林恵吾
『風を聴く〜台湾・九份物語〜』(2007年)、『雨が舞う〜金瓜石残照〜』(2009年)、『呉さんの包丁〜戦場からの贈り物(2013年)』など、台湾現代史を紐解くドキュメンタリーを製作してきた林雅行監督。
2011年に製作された『老兵挽歌』が公開されている。
シネマジャーナル本誌では2012年発行の85号で紹介しているが、公開が延期になっていた。
中国大陸で生まれ、日本軍と戦い、中国共産党軍と戦い、アメリカ軍とも戦い、台湾で余生を過ごす老兵たちの物語
1945年、日本の敗北で太平洋戦争は終わり、抗日戦争で一緒に戦っていた蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産軍は、1946年、内戦に突入する。1949年、勝利した毛沢東は中華人民共和国建国を宣言。敗れた蒋介石は台湾へ渡った。その数200万人、うち兵士は60万人。彼らは外省人と呼ばれる。
「反攻大陸」をスローガンに、蒋介石は台湾全土に戒厳令をしき、1年準備、2年反攻、3年掃蕩、4年成功を企図し、下級兵士には結婚を禁じた。数々の優遇措置を受けた兵士たちは「戦士」と呼ばれていたが、退役する者が増える頃、「栄民(栄誉国民)」と呼ばれるようになり、国家は栄民に数々の特典を与えた。
栄民は大別すると4つに分けられる。まず、台湾社会に入った栄民で、数は少ない。次に眷村(けんそん)と呼ばれる村に家族と住む栄民、陸軍、海軍、空軍など部隊ごとに住んでいる。土地は軍が所有し、栄民には国から終身俸給が与えられる。水道、電気、ガス料金は半額。1982年時点で880の眷村があった。眷村出身者にはテレサ・テン、候孝賢、エドワードヤンなどがいる。3つめが「栄民の家」で、家族をもたない独居栄民が集団で生活している。台湾全体で18ヶ所(2010年時点で約10万人)あり、施設内には食堂、売店、理髪店、娯楽場、映画館、病院などが完備している。眷村と「栄民の家」は、軍の管理下にある。そして、軍の管理下でなく自由に生活したいと思う栄民の集落がある。蒋介石の時代は、国民党にとって台湾は仮の住まい。いずれ大陸に戻るはずだった。しかし、その機会は訪れなかった。
1987年7月、38年間続いていた戒厳令が解除され、野党の結成が認められたり、報道の自由が保障され、老栄民が中国に戻り肉親を探すことが可能になった。台湾と中国の経済交流は、年を追うごとに増え、観光客だけでなく多くの経済人も行き来している。栄民=老兵たちのほとんどは、一時的に中国に行き、肉親と再会することがあっても人生の大半を過ごした台湾で余生を送っている。
国共内戦終了後も中台の武力衝突は1970年代後半まで続いた。1950年に朝鮮戦争が勃発し、中国共産党軍の兵士として出兵し、捕虜になった兵士の中で、中国への帰国でなく台湾行きを望んだ者もいた。彼らは反共義士と呼ばれ、その数14000人ともいわれる。
そんな老兵たちのことを丁寧に取材したのがこの作品である。
去年、山形ドキュメンタリー国際映画祭で『陳才根と隣人たち』(呉乙峰/ウー・イフォン監督/1996)、『河北台北』(李念修/リ・ニェンシウ監督/2015)の2作品を観た。また、東京国際映画祭では王童(ワン・トン)監督の『風の中の家族』を観た。これらは、みな老兵たちのことを扱った作品である。シネマジャーナル95号(2015年冬号)では、この老兵たちを扱った作品がとても印象に残ったとも書いた。
それは2012年に、この『老兵挽歌 〜異郷に生きる〜』を観ていたからこそだと思う。『老兵挽歌 〜異郷に生きる〜』を観て、ほとんど描かれてこなかったこの老兵たちのことが気になっている。
いつか大陸に戻りたいという思いで生きている外省人の老兵たち。老兵たちはほとんどが80代以上になった。これらの作品は、波乱万丈の生涯を送った人たちの記憶が忘れ去られてしまわないように、歴史を伝えたいという思いが伝わってくる。しかし、台湾の戒厳令が解除された1987年までは、台湾ではこういう内容はタブーで作ることができなかったという。外省人というと大陸からやってきて台湾を支配しているというイメージだけど、故郷と家族、生きる希望を奪われ、孤独で貧しい老人たちこそ、実は〈外省人〉の多数を占めていることを実感できる。(暁)